日日是好日

はてなフォトライフ

本当は怖い中国から輸入のラーメンスープの素

イメージ 1

いまや日本人の国民食といってもいいラーメン。そのラーメンの美味しさを決める素材の1つがラーメンのスープだ。しかし、すべての店が鶏ガラや豚、牛の骨を何十時間も煮込んで、手間をかけて独自の味を作りだす……といった作業をしているわけではない。

 多くの店は、チキンエキス、ビーフエキス、豚肉エキス、魚介エキス、野菜エキスや昆布粉末、チキン粉末などのエキス食品を使っているのが実情だ。

「エキス卸業者から買ったエキスを元に、多少の工夫を加えれば、行列のできるラーメンと同じレベルの味をつくれるわけですから。みんな飛びつくのは当然でしょう」(外食産業関係者)

 だが、問題はこうしたエキスの多くが中国産食品だという事実だ。周知のように、中国からの輸入食品には、残留農薬食品添加物が大量に混入しているという疑いがあり、敬遠する消費者も多くなっている。

 だが、いくら注意深く中国産食品を避けても、エキスの形になるとチェックすることはできない。それどころかもっと危険な食材が体内に入り込んでしまう可能性もあるという。

「粉末にしてしまうのだから、本来廃棄処分されてしかるべき肉、野菜、魚介類くずやゴミが原材料であっても不思議ではない。実際に、わたしがいくつかの工場で調べた範囲でも、エキスの原材料としてこういった不衛生なものが使われている可能性は高い」

残留農薬食品添加物にとどまらず、最近ではヒ素カドミウム、水銀、ナマリ、クロム、銅などの重金属が混入しているのではないかという疑いがある。排水溝に溜まった廃油を精製した地溝油、死肉、腐敗食品など、日本では想像できないものが混ざっている可能性もある……」

「(チキンエキスといっても)胸肉とか腿肉とかを使う企業はない。エキスはどの部位からも抽出可能なことがメリットでもあり、またそういう食品形態なので抗生物質などの薬物汚染や、飼料から取り込まれた農薬汚染の危険因子が入り込む余地は、他の食品に比べても格段に高い」
『日中食品汚染』(文藝春秋

 こう自著の中で指摘するのは、愛知大学国際中国学研究センター所長で中国研究農学者の高橋五郎氏だ。高橋氏の新刊『日中食品汚染』(文春新書)によれば、日本は中国からエキスを大量に輸入しているという。重要なポイントを、本書より引用しよう。

「日本が中国から輸入しているエキスは肉エキスや野菜エキスなど多彩だが、2010年1722トン(4億4000万円)、2011年1539トン(4億円)、2012年1842トン(4億6000万円)である」「とくに輸入が増えているのはビーフエキス、チキンエキスと野菜類エキスだ。チキンエキスの大きな増加は、中国から輸入する鶏肉調製品の増加と同じ性質のもので、チキン肉そのものの輸入に代替する意味を持っていると考えられる」

 つまり、これまでのように、中国産の肉そのものでは消費者から敬遠されてしまいかねない。エキスの方で取引を行えばいい―—というのが業者側の発想なのだ。外食は食品表示義務もないために、なおさらハードルが低くなる。日本側で十分な検査を行っていればいいのだが、現実はかなりあやしい。

「日本は無防備で、どんな原材料を使ったエキスでも輸入自体は自由で、一般の品目と同じ検査が行われるだけ」

 アメリカでは、ビーフエキスの輸入自体を禁止。豚肉エキスとチキンエキスに関しては「高熱処理した製造工場の検査証明書に加え、動植物検疫所が発行する輸入許可書の提出が求められ、すべての家畜エキスを含む食品の輸入には、輸入先の動物検疫所が発行する輸出検疫証明書が必要だという」が、日本の場合は月とスッポン。一般品目の検査自体も万全なものとはいいがたい。

 また、やはり、というべきか、中国側の検査方法も問題だ。

「(検査機器が十分でないために)ヒ素、水銀、カドミウム、クロムなどの重金属、約3000種ある食品添加物も同様に、検査からはみ出る恐れが否定できない」のだ。

 重金属に蝕まれた身体は発ガン性やアレルギー性などの健康リスクが高くなることは広く知られている。長期的に見れば、日本人は“毒”ラーメンを食らっているようなものなのだ。しかも、“毒”ラーメンだけではない。

「(日本の)アメリカに次ぐ輸入先は中国で、野菜・畜産品などの農畜産物、ウナギやワカメなどの魚介類、そしてマツタケやシイタケなどの林産物におよび、こまかく分類すると、毎年ほぼ700品目になる」

 著者は「これだけ中国産食品を輸入しているのだから、もし汚染があれば、それはそのまま我々の口に入ってくる。いわば“日中同時食品汚染”の時代なのだ」という。

 あなたが並んでいるのは、ラーメンの行列ではなく、もしかしたら、何十年か先の入院を待つ行列なのかもしれない!?

★本のデータ
『日中食品汚染』(高橋五郎/文藝春秋)より