結論から言うと「あり」
清水港西側で広さは2059平方メートル
4365平方メートルだった。
千石船を持ってたと言う
ただし、行政権はないが現在も利用者からは年300万円の地代を得ている
山梨側に残る記録は引渡しの事実関係だけで詳しい経緯については不明で
静岡側にも経緯についての資料は見当たらないが担当者は
「
甲州米のお陰で清水港が栄えた。このままにしておこうと当時の人達も思ったんじゃないか」
と話す。
2010年11月12日
毎日新聞夕刊 「憂楽帳」より
★こんな話
山梨県民も
静岡県民も意外と知らないんじゃないのかな?
学校の歴史等でこんなロマンのある話教えてるんだろうか?